Tomino interviewed: Gundam: G no Reconguista Is Half a Year Long

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Gundam: G no Reconguista Is Half a Year Long

Gundam franchise creator Yoshiyuki Tomino said in an interview with Anime Busience magazine that the Gundam: G no Reconguista (Gundam: Reconguista in G) anime is planned for two cours or half a year. The series will debut this fall as one of three main projects that celebrate the 35th anniversary of Gundam.

The story is set in “Reguild Century,” the era set after the Universal Century, and it will follow the adventures of a pilot trainee named Beruri Zenamu in Capital Guard, an organization protecting a space elevator. The character designer is Kenichi Yoshida, and the mecha designers are Akira Yasuda, Ippei Gyōbu, and Kimitoshi Yamane. Yuugo Kanno is scoring the music.
[translated by animenewsnetwork]

Original:

——ルーツがテーマなのでここからスタートします。ご出身の小田原とともに江東区大島(※1)も富野さんにとっての原風景で、都市計画によって人工的に造られた町として『ガンダム』の元になったということを、これだけ長く付き合っていて初めて知りました。
富野由悠季(以下、富野):ほとんど話してないですからね。僕自身、いわゆるホームタウン、 田舎をなくした人間だった。そういう寄る辺の無さというのは、大げさに言えば日本国民としての足場もなくなってしまったというくらいに不かなものなんです よ。デラシネ(※2)に近いという感覚をずっと持っているからこそ、生きてる間に「死ぬための足場」を作っておきたくて、「日本にお墓があってもいいんだ よ、という自分にしておきたい」ということは希望として明確にありました。
——それは若い頃からですか。
富野言葉にできるようになったの はこの10数年だけれど、大学時代から思ってましたね。言葉にしづらかったのは、20年、30年前のアニメの仕事史といった話をすることがなかったから、 というだけの話です。それが今、自分のキャリアに応える言葉を持たなくてはいけなくなって、ようやく話せるようになりました。『ガンダム Gのレコンギスタ』(以下、『G-レコ』)(※3)をやらせてもらったおかげで、いろんなことを考えさせられましたね。あらためて、「アニメで表現しなけ ればいけないものは一体何だろう」と思ったときに、己の思いの丈を語るだけではダメだし、自分の思いの丈を語るものであれば一枚の絵を描けばいいだけなん です。もっと恐いことを言うと、実写を撮ればいい(笑)。アニメというのは、そういうものよりもはるかに遠いところにある表現媒体。だからこそ、メッセー ジ性や、夢とロマンが出てくるわけですが、『G-レコ』で少し違ってきました。
——ある意味、別の物への置き換え論がたくさん出てきますよね。
富野:そう。アニメという、スタジオワークでやらなくちゃいけないものを作るときに、個人の 思いの丈なんて関係なですね。100万人に応えられる夢とロマンを提示しないといけないからです。つまり、アニメは記号性のものすごく高い表現媒体だか ら、イチ作者の、イチ監督の思いの丈で作る作品では媒体がもたないということです。つまり、アニメという媒体はかなり欲の深い媒体なんです。
——つまり、いろんな人のアイディアとか……。
富野:というのもあるし、僕はガンダム世代が社会人として発言するようになって、あらためてガンダムの力というのを徹底的に痛感しました。
——ルーツと言えば、やはり『ガンダム』なので、今日はいろいろお聞きしようと思っていました。
富野:ガンダムの力を痛感したときに、「ファーストガンダムでああいうメッセージを掲げてお いてよかった」と思いました。「人口増によって地球が疲弊する」なんてリアルには感じてなかったけど、ロジカルに考えていったらそこにつきあたったんで す。この話だったら一千万の人間に通用するだろうと考えました。
——ガンダム世代はもう50代に突入しましたね。
富野:そのようなアニメを観た人たちが大人になって、「え、富野さん、そんなこと言わないで くださいよ」って言われない自分を作るためにはどうすればいいかと考えました。そうなれば、基礎学力をつけるしかないから、せめて億劫がらずに人と会うこ とはしてみようと思って、『ガンダムエース』で10年近く対談(※4)をやらせてもらいました。やっみたことによって、『G-レコ』の企画を考えていると き、曰く言い難く力になったと感じるようになりましたね。いろんな人の話を聞いたことで得たものはあるし、アニメの持ってる記号性や、伝えられる物語とか メッセージには深いものがあって、あらためてそれを創作できる自分でありたいと思ったわけです。そうなれば、後進の企画者、ライター、演出家に「一般的な 基礎学力を持っていなければアニメの仕事はやってはいけないんだ」と言えるところまできました。物語を作る能力は、アニメが好きなだけではダメなんです よ。まず作家でなければいけない。でも作家を養成するハウツーなんてなくて、要は人の資質になってくる。出てくる才能を待つしかないんですよね。これはま さに、僕がホームタウンをなくしたこととも関係しているんだけど、自分が死んでいく時に安心できる場所を手に入れるには、「ちゃんと生きました」という生 き方をしなくちゃいけないんです。僕はアニメの仕事を通して自分の死に場所を求めることにする、という意識はこの10年ぐらいでハッキリしてきました。
——よく「アニメしかやることがなくて、職業に選んだ」と仰ってましたが、10年でそういう境地までいかれたんですね。
富野:僕にとってアニメの仕事は理想でもなんでもなかったんです。能力がない人間は与えられ たことをやるしかないすからね。アニメが決定的に嫌いじゃなかったので、仕事を始めて1ヶ月後には好きになってたけど、それでもテレビアニメの仕事を 40、50、ましてや60代になってまでやれるような価値論を持っているとは思っていなかったから、こんな仕やっていたら死にきれないぞっていう嫌悪感が すごくありました。『ガンダム』を作った時にもその余韻はあって、これで生き延びる方法はないんだろうかって考え始めたことが、『ガンダム』に結実したの ではないのでしょうか。

 

過去を積み上げたその先に

——久しぶりの現場はいかがですか。
富野:外から客観的に見てて分からなかった部分が具体的に分かってきました。アニメ業界 が本当の意味で過渡期に入っちゃったことを、現場がどこまで意識してるかということです。僕の場合、ハリウッドのプロダクションとの業務提携(※5)で旗 振り役の一番手になってることと、もうひとつ、『アナと雪の女王』(以下、『アナ』)も重なっています。
——『アナ』に巡る状況は、是非お聞きしたいと思ってました。
富野:それはビジネスを考えるうえでも、作品を作る側にとっても重要なことで、手描きア ニメから入っている技術論だけで3Dの『アナ』に勝てるかという話です。『アナ』がここまで動員できたのは、楽曲が成功したからなんです。ところが、画像 製作者側は『アナ』のような画像処理をしなければヒットしないと思っています。「でも、そうではないんだよね」というところもきちんと見なくちゃいけない ということをここ3、4ヶ月で考えていて、どういうふうに突破できるだろうかと考えた末の結論は出ました。ただ、興行側とか出資者側の人たちには、なかな か理解してもらえないと思います。特に画像処理の問題に関して言えば、ほとんどがモーションピクチャーでやってるんだろうと思うんですが、『アナ』だけ じゃなくて『パシフィック・リム』なども含めて、その手のCGや3D処理をした映画全部に言えることなんだけれども、これでしか映画やアニメが作れないと いうところに行っちゃう方向性が見えるわけで、彼らはそれに囚われています。特にアニメーションは、モーションピクチャーを使うほうが、手描きでやるより 早いかもしれないし、楽かもしれないというところまで分かってくると、そういう流れにいくでしょう。けれど、僕はそうではないと言える論拠を見つけまし た。
——3Dアニメに勝つ、ということについて?
富野:うん。まず、「どうして、CGがいわゆるリアル志向のものになってしまったか」と いうことに関して言えば、簡単なことなんです。基本的に、画像表現の処理学を全部理科系のオペレーターに任せてしまったからで、そこにアーティストが関与 してないからでしょう。技術至上主義になってしまって、今、文化系でひょっとしたらアーティスト系の人も、使っているCGワークの技術を使ってやっていく しかないというところに敗北してるか、敗北って意識も持たないで、便利な道具だからって無定型に使ってる状況が続いているからです。だけど、表現をするう えで3Dが絶対的な手法ではないと言い切れます。その理由のひとつが、絵画の世界では70年代にニューヨークから出てきたスーパーリアリズムです(※ 6)。流行ったけど、意外と簡単に冷めてしまって、むしろ、それ以後の現代アートというのは、手描きのアニメやアニメ・キャラクターに近寄るところまで 行ってしまった。それは一体なんなのだろうかと考えたときに、つまり、リアルに表現することは表現行為ではないという証拠です。それから、もうひとつ。 我々が一番経験しているんだけれども、日本における大変大きな事情があって、映画やアニメがこれだけ流行っていった中でも、コママンガが衰退しなかったの は一体なぜなのか、ということです。
——アニメに移り変わられなかったわけですよね。
富野:そう、変わられなかった。むしろコママンガのほうがビジネス的にヒットしていて、 表現として映画とマンガのどちらが上なのかといったときに、一般大衆やマーケットは必ずしも映画を善としてはいない。マンガのほうが簡単に手に入れること ができるからというだけではなくて、リアルであろうが、すごく簡単な絵柄であろうが、どういうマンガであれ、変なアニメや変な映画よりもマンガ絵のほうが ビジネスになっている中、一般の人たちは表現としてどちらを楽しんでいるのかとか、どちらを享受しているのかといったときに、コママンガの持っている表現 媒体としての能力は、映画やアニメより上かもしれない。これが2番目の証拠。
——それは、止まった絵を脳内で補完して楽しむ余地を受け手が見つけるからですか。
富野:そう。そういうものを見慣れているほうが表現としては受け入れやすいのではないか と思うんです。この歳になって手描きのアニメの仕事を現場的にやらせてもらえる可能性が出てきて、僕自身が見てきた中で、アニメで描くしかないキャラク ターや手描きで描くしかない背景といった表現が、全部リアリズムに落とし込まれたものが優れているといった評価はないってことですよ。決定的に『アナ』が 強いなんてことはあり得ないので、井上さんの言ったとおり、受け手が補完するということができるほうが表現としては多様性を持っていいかもしれないわけで す。受け手が脳内で補完することによって理解したり想像する部分はものすごく多くて、表現するものが全部リアルになっていいというものではないんですよ ね。そのうえで、僕が手描きのアニメをやるにあたってあらためて考えたのは、アニメのほうが表現としては記号に近いってことです。記号を使って物語を伝え るときに、正確に物語のメッセージを伝えることができるのがアニメの性能なんです。この性能というのは、実写よりもアニメのほうが強いかもしれないし、さ らにマンガのほうが強いかもしれないということです。むしろ積極的にその記号性という部分に寄り添って物語を作っていこうと思って、僕の場合、『G-レ コ』では物語というより今回はメッセージ、次の世代の子供たちに考えてもらう課題を明確にいくつか設定しました。
——『G-レコ』で、ということですね。
富野:そう。「『G-レコ』でこういうことを言っているのは、こういう問題があるからだよ」という問題提示をしたつもりです。2クールの中に僕なりにかなり並べることができて、今、スタジオでは「作業的に手抜きでいいから、とにかく早く作ってくれ」と言ってます。
——今回、富野さんが「クオリティを無駄に上げすぎるな」とおっしゃっているという声も 現場サイドから漏れ聞いています。
富野:そのクオリティというのが、これまで話した「今のアニメの現場のクオリティという のはリアルに描く」ということで、「それはやめろ」「手描きでしかできない動きでいい」と言ってます。アニメ的に動いてくれればいいので気楽にやってくれ ていいんだけど、それは、さっき言ったとおり、メッセージはきちんと押さえているという自信があるからというのもあるわけです。そういう意味では多少うぬ ぼれてもいるし、嵩に懸かってる部分もあって、そういうものがなければ手描きアニメをやるのはかなりきついだろうなというのも感じています。だから、今回 このやり方を確かめてみようというふうに思ったわけです。作業的に手描きではどうしても描けないものはいくつかあるだろうから、3Dとかデジタルワークと いったものをやってもらうことはあるだろうけど、それ以上にやる必要はない。むしろうかつに深入りしていくと、『アナ』を追っかけることになって自爆する だろうということです。『アナ』のことで僕が一番マズイなと思ったのは、これで誤解する人がまたいっぱい出てくること。だから、久しぶりにスタジオで現場 の空気を見たときに、今回話したようなことを企画者とか演出というレベルがどこまで理解しているのか、ということで、敗北感に取り憑かれてるんじゃないか なと想像するわけです。
——企画や出資をする人たちが安心のために「もっとリアルに」と言っていると思うのですね?
富野:企画者とか演出、シナリオを書くライターまでが「リアルに売らんかな」というとこ ろにだけ行っちゃっているでしょう。メッセージ性や物語のことを考えれば、手描きのアニメでやるからこそ、本当の意味での夢物語が作れるはずなんです。そ れをリアルに作っていたら、誰も観に来ないよね。だから、アニメを作るということの意味は何なんだろうかと言ったら、まさに夢とロマンを貼り付けていく物 語を作っていくところにあるんじゃないのか、と思うわけ。10年ヒットしてるシリーズアニメは何か考えれば、アニメだから許される物語なんだっていうとこ ろにきちんと定義していくというのが一番大事なことで、アニメという表現媒体の性能を理解して企画を立ち上げていく、作品を作っていく、というのがアニメ に関わるスタッフにとって一番大事なんじゃないかということです。
——企画者とか出資者とか、プロデューサー的な全ての人が聞くべき話ですね。
富野:大人たちがアニメのことをどう考えるかといえば、大学とか専門学校のレベルがこう いう話をしてない気がするんですよ。一番取りこぼしてる部分の才能を育てていくためにはもうちょっと深刻に考えていくべきじゃないかな。この数年、学生の 顔も見るようになったから、浜野先生が苦悩されていた部分を感じるんですよね。口はばったい言い方だけど、これ以後のアニメを考えていくうえで、若い人に 分かって欲しいことでもあるし、本当にこれは死ぬまで伝えていかなくちゃいけないことだなって思っています。

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